好きを仕事にする
ことし秋に公開を予定している『幻の蛍』は豊かな自然の中で成長する10代の心を描く。そのメガホンを取るのが伊林侑香さん。
全て富山ロケという作品にフレッシュな感性を吹き込む。
「公開前なので、まだ映画監督(仮)です」と笑うが、映画製作にかける思いは熱い。
Q.『幻の蛍』はどんな映画ですか。
中学生が夏休みに妹と出掛けたのをきっかけに、家族のあり方や自分自身の葛藤と向き合い、成長していくという物語です。
見どころはたくさんあります。
主人公の心の動きも注目してもらいたいし、富山のすてきな景観が全て入っているので、映像の美しさにも感じ入ってもらえたらうれしいです。
Q.手応えはどうですか。
編集作業をしながら、我ながらすてきな作品になったという自信があります。
素晴らしいキャストとスタッフのおかげですね。私は好きな映画を何度も見ます。
たとえば『メリー・ポピンズ』は小学生の頃から大好きな映画なのですが、大人になると見え方もまた変わってきました。
そんな奥深い作品を撮影したいと思っていました。
『幻の蛍』は子どもの視線でも、親の視線でもそれぞれにジーンと来るものがあります。
子どもの頃に見た人が大人になっても楽しめる作品になりました。
Q.どんな高校生でしたか。
人見知りだったのでクラスに友達がいませんでした。
2年の半ばくらいから、クラスメートが話し掛けてくれて、自分を出せるようになりました。
「TOMISHOP」という校内イベントで店長をやったり、体育大会で応援団長をやったりと、いきなり性格が一転したかのようでした。
Q.映画監督はいつから志していましたか。
中学校2年くらいからです。
ただ家庭があまり金銭的に余裕がなかったので、進学はせずに一度建設会社に勤めました。
自分でお金を貯めて、東京の映画学校に行こうと思っていました。
働いて4年ほどして退職しました。
上京して映画監督のワークショップに参加しようとしていたところに新型コロナの感染拡大が問題になりました。
上京が難しくなり落ち込んでいたのですが、富山の映像制作会社が映画に関心のある人を募集していると聞いたんです。
それは『真白の恋』や『もみの家』などで知られる坂本欣弘監督の会社でした。
地元にいながらにして映画製作を学ぶチャンスだと思い、入社を志望しました。
地元で映画製作にかかわれるなんて思ってもいませんでした。
Q.なぜ映画に関心を持ったんですか。
毎週必ず映画館か家で映画を見るというルールがある家に育ちました。
父が映画監督を目指していたということもあるんでしょうね。劇場に初めて行ったのは3歳です。
『ロード・オブ・ザ・リング』というとても長い作品を見たんですが、ぐずることもなくちゃんと見ていたそうです。
家族で映画を見た後は必ず感想を言い合いました。そこで、自然と自分なりの映画観ができていったと思います。
Q.映画監督になる筋道は?
普通は映画学校や大学に行って仲間と自主製作するところから始まるのではないでしょうか。
あるいは制作会社でCMを作っていた人がメガホンを握るということもあるでしょう。
私は坂本監督の会社に6月に入って、CMやショートムービーの演出助手をやり、9月から映画監督としての仕事を任されています。
入社してすぐに『幻の蛍』の脚本を読んで感激しました。
ぜひ監督させてほしいと立候補したんです。経験もないのに(笑)。
映画製作はたくさんの人が関わり、お金も必要です。
皆さん不安があったと思いますが、最終的には任せていただきました。
坂本監督からは「絶対に投げ出すことはできないぞ」と念押しされました。責任もって公開に漕ぎ着けます。
Q.未経験なのに「やりたい」とは、普通は言えませんよね。
私は今の会社に入るまで事務職の経験しかありません。それでも、ずっと「映画監督になりたい」と言ってきました。
今の仕事は私の思いを知る友人から紹介されて入社しました。
恥ずかしがって意思を伝えなかったら、今も私は事務職をやっているかもしれません。
周りにどう思われても、まずは口にすることが大切。
もちろん私には、まだ足りないところがあります。
撮影中は毎晩坂本監督からアドバイスをもらいました。
そしてスタッフの皆さんも私の意見を尊重しながら、プロの仕事をしてくださいました。
映画監督は孤独と言われますが、少なくとも今回の私は孤独を感じずに済みました。
無事に撮影を終えられたのは、皆さんのおかげです。
Q.映画監督をやりたい高校生もたくさんいると思いますが、どんな人が向いていますか。
誤解を恐れずに言うと、誰でもなれると思います。
映画監督の仕事は判断すること。役者さんがいい演技をしているかどうか。
狙い通りの構図で撮影できているかどうか。判断基準は心が動くかどうかです。
テレビドラマを見て感動することってありますよね。そういう感情があるなら大丈夫だと思います。
自分で価値判断できて、作りたいものが貫ける人ならOK。
どこにチャンスが転がっているか分かりません。ちょっとでもチャンスがあったら、ぜひ手を挙げてほしい。
伊林侑香
いばやし・ゆか/1999年富山市生まれ。
富山商業高校卒業後、建設会社に事務職として4年間勤務。昨年6月に映像制作会社に入社した。旅行が趣味だが、映画製作にかかわって以来、なかなかできていない。
※掲載内容とプロフィール情報はFuture 2022[進学・オシゴト版] 2022.2.25時点のものです。