富山にこんなお仕事
新聞記者(椎名 哲平さん)
報道の意義 震災で考える
元日。高校サッカーの取材のため上京していた。古いホテルの一室で体を休めていると建物が揺れた。
能登に大津波警報が出された。テレビには激しく揺れる港町の様子が映し出される。
「これはヤバいやつ」と思った。地震は「令和6年能登半島地震」と名付けられた。
富山に戻ると、地震で大きな被害を受けた輪島の取材を指示された。
北日本新聞社の写真映像部に所属し、スポーツや災害、事件、美術展、政治など、さまざまな現場でカメラを構える。
その場にいるだけで楽しくなる取材もあれば、レンズを向けるのが気が重くなる仕事もある。
能登半島地震の被災地では、自衛隊が崩れた家屋を捜索する場面に出くわした。
カメラを向けると、涙ながらに「何を撮ってるんだよ」と訴える人がいた。
おそらく家の下敷きになっている人の家族だ。すぐに謝って、カメラを引っ込めた。
一方で、「話を聞いて」と頼りにしてくれる被災者もいる。
「災害報道にはちゃんと意味がある。目の前の状況を発信したら、支援しようという機運が高まる。
同じような災害が起これば、『逃げなきゃ』って思ってもらえる。でも、今悲しい気持ちでいる当事者の気持ちもよく分かる」。
震災は仕事の意義と難しさを再認識する機会になった。
新聞社にはイベントの企画をしたくて入社したが、「会社員あるある」で思惑通りにはならなかった。
配属されたのは、撮影を専門的に担当する報道の部署だった。
カメラどころか、インスタもほとんどいじったことがない。「なぜ?」と思った。
仕方なく仕事をする中でカメラの扱い方を覚えた。先輩の写真をチェックしては構図や設定を真似た。
次第に褒められることも増えた。今では新聞に署名付きで写真が掲載されると、メールをくれるファンもいる。
「撮り直しができない瞬間は多い。それが大変だし、面白いところ」。
入社して3年。さまざまな現場を経験し、プレッシャーの向こう側にやりがいを感じている。
私の愛用品
■Apple Watch
大学生の時から愛用している。仕事で役立つ場面も多い。
スポーツの取材中に「こんな場面の写真が欲しい」と、記者からの連絡があっても簡単にチェックできる。
※掲載内容はFuture 2024[進学・オシゴト版]
(2024.3.7時点のものです。)