スペシャルインタビュー
~nifuniさん~
漫画『左ききのエレン』(リメイク版、原作かっぴー)が昨年、最終回を迎えた。連載は2017年に『少年ジャンプ+』でスタート。
才能に限界を感じながら葛藤する広告クリエイターと、圧倒的な才能ゆえに孤独を覚えるアーティストを軸にした青春群像劇が多くの共感を呼んだ。その作画を担当したのが、高岡市在住のnifuniさん。漫画デビューした経緯や連載を終えた感慨を語った。
一緒にやるからいいものになる
Q『左ききのエレン』が最終回を迎え、最終巻となる24巻も刊行されました。おめでとうございます。
連載開始から5年間、走り切れてよかった。すてきな作品に関わることができて光栄でした。
私はアシスタント経験もなく、漫画の勉強を全くせずに漫画家になった。トライ&エラーの連続。無我夢中でした。
Q元々はジュエリーをデザインしていたんですよね。
高岡短大(現・富山大芸術文化学部)を卒業後、オーダージュエリーを作る名古屋の会社に勤めていました。
仕事にはとてもやりがいを感じていたのですが、結婚に伴い、退職を覚悟で地元の富山への移住を会社に相談しました。
すると、予想に反してありがたいことに北陸初出店のプロジェクトを任されることになり、富山でも仕事を続けさせていただきました。
Q漫画を描くことになったのはどうしてですか。
まず『左ききエレン』とは別の漫画で、原作者のかっぴーさんが商業誌デビューすることになったんですね。
その作画を担当する人を募集するコンペがSNS上で開かれました。
仕事だけの暮らしに悶々としていた時期だったので、思い切って参加してみました。すると、最終選考にまで残ったんです。
結局別の方が選ばれたのですが、当時の編集者さんから「実は連載中のエレンをリメイクする企画があるんだけど、やらないか」と連絡がありました。
私はずっとファンとしてエレンを読んでいたし、かっぴーさんを応援したい気持ちもあったので、これはやるしかないと決意しました。
Q予想外の形で、いきなり漫画家デビューすることになったんですね。
「少年ジャンプ+」という漫画アプリで毎週連載することになりました。
さすがに会社員をやりながらでは厳しい状況です。「このチャンスを逃したらもう来ない」と退職を決意しました。
「漫画家になる」と退職の意志を伝えた時は、職場全体がざわついたのを覚えています(笑)。びっくりするのは当然ですよね。
でも、会社のみんなは温かい応援の言葉で送り出してくれました。本当に感謝しています。
漫画への挑戦は無知だったからできたのかもしれません。漫画を描く大変さを知らなかった。
漫画の描き方みたいな本やハウツー動画を見ながら、ちょっとしたルールやコツを覚えていきました。今でもその勉強は続いています。
Qどんな風に漫画を制作したのですか。
かっぴーさんが描いたネームを基に私が作品に仕上げていきます。それでLINEでやり取りしながら修正していきます。
2人とも会社員の経験があるから、協力していいものを作っていくというやり方が合っていました。
人に頼ること、頼られることをネガティブと思わない。一緒にやるからいいものになるんだという共通認識がありました。
かっぴーさんからは「キャラクターの表情がいい」と言われたのがうれしかった。そこは私も大切にしているところだったから。
表情でキャラクターの感情の微妙なニュアンスを伝えることは、漫画だからできることです。
Qどんな5年間でしたか。
終わったら次、終わったら次ー。ずっと締切と追いかけっこをしていました。
家でペンを握らない日はなかったです。大変だったけれど、充実した日々でした。
連載が終わって、生活が落ち着いた今は健康的な生活になりました。
Q漫画を描いてよかったことは?
サイン会をやって実際に読者の皆さんとお会いした時はうれしかった。ファンの皆さんから元気をもらえました。
それまでは黙々と家で描いているだけで、本当に地味な生活でした(笑)。
私たちがやっていることがちゃんと届いているんだなと実感できました。
あと、漫画アプリでの配信だったので、読者の感想も届きやすかったです。
共感のメッセージを頂くと、次も頑張るぞって思えましたよ。
Qそもそも漫画家になりたいと思ったことはあったんですか?
小中学生の頃は考えていたかな。絵は好きだったので、描く仕事といえば漫画家くらいしか知らなかった。
そのうち、デザイナーやアニメーターという仕事の存在を知りました。世界的に活躍するアーティストにも憧れましたよ。
でも画塾の先生に「ああいう人は目指してなるものじゃない。2人もいらないんだから」と言われてハッとしました。
自分ならではのものをただ作っていけばいいんですよね。
地元の美大に行ったのは、創作に集中できそうだから。
東京の大学も受かったのですが、バイトをたくさんしないといけない生活だと意味がない。
金属工芸を専攻したので、その流れでジュエリーの会社に就職して今に至ります。
Q今後の展望は?
同人誌即売会に一度も出たことがないので、参加してみたいです。
お祭りのようなあの会場の空気と時間を楽しみたいです。その時は自分で一から作ってみたいとも思います。
漫画以外にも、ジャンルを問わずに創作活動を続け、個展やグループ展に出展したいです。
連載した5年間は私にとって宝物のような修行期間でした。自分で描き上げたというより、キャラクターや物語と一緒に伴走してきた感じ。
この経験を生かして、新しい創作につなげたいです。
Q高校生にメッセージを。
無責任かもしれないけど、楽しそうなことには飛び付いちゃった方がいい。
やる前から諦めていたら何も変わらない。失敗したって勉強の機会になるのだから。
未経験の私が漫画を描けたのも、たまたまた手を挙げたから。もちろん運の要素は大きいですよ。
でも、失敗した後悔よりも、挑戦しなかった後悔の方が大きいと思います。
nifuni
漫画家
nifuni/1987年大阪府生まれ。千葉県で育ち、中学校3年で富山市に引っ越した。呉羽高校卒業後、高岡短期大(現・富山大学芸術文化学部)で金属工芸を学び、ジュエリーデザイナーとして8年間勤めた。ライフワークとして絵画やドローイング作品を自主制作し、毎年美大出身のメンバーと共に富山市内で展覧会を開くなど、創作活動を続けてきた。2017年から、リメイク版『左ききのエレン』の作画を担当し、漫画アプリ『少年ジャンプ+』にて連載した。2020年から高岡市内に在住。夫と猫2匹と暮らす。
※掲載内容とプロフィール情報はFuture 2023[進学・オシゴト版] 2023.3.7時点のものです。