2021年の世界を変えた決断

2021年もたくさんのことがありました。この世界はたくさんの決断で成り立っています。
今年を彩った大きな出来事に至る決断とはどんなものだったのでしょうか。

BTS、10週連続で米ビルボード「HOT100」1位を独占

ジョングク、RMのいる事務所に(2011年)

BTSは「Butter」と「PermissiontoDance」の2曲で世界を魅了し、10週連続で米ビルボード「HOT100」の1位を勝ち取りました。
K-POPのスターを飛び越え、世界のスターと言えるでしょう。
BTSの中でも、安定感ある歌声とダイナミックなダンス、愛され末っ子キャラで人気なのがジョングクさんです。
彼はいくつもの芸能事務所からオファーがあったにも関わらず、当時規模が小さかった事務所を選びます。理由は後にBTSのリーダーとなるRMさんの存在です。
練習する姿に惹かれたそうです。
RMさんに憧れたジョングクさんの決断は、今のBTSの成功において大きな分かれ目の一つでしょう。「神の一手」とも言われています。
もちろんどのメンバーの才能や個性も欠かせません。
BTSへと至る一人一人の決断が今の成功につながっています。

アマゾン創業者が宇宙飛行

一流の金融機関を辞める(1994年)

7月に米国の宇宙企業「ブルーオリジン」が宇宙飛行を成功させました。
インターネット通販のアマゾン・コムを創業したジェフ・ベゾスさんら4人が乗り、うち18歳男性と82歳女性が宇宙飛行の最年少と最年長の記録を更新。
民間の宇宙旅行の動きが加速するとみられます。
本でも、食料品でも、あらゆる物をスピーディーに配達してくれるアマゾンはおなじみの存在ですよね。ベゾスさんは名門大学を卒業し、ニューヨークの有名な金融機関で働いていました。
インターネットを利用した数百万種類の本を発売する本屋のアイデアを思い付くと、誰もがうらやむ会社を退職しました。
幼い頃から発明家への憧れがあり「安全ではない方の道を選び、自分の情熱に従うことにしました」と振り返っています。
1995年にアマゾン・コムを創業すると、破竹の勢いで成長させて大金持ちに。
5年後には安く安全な宇宙旅行を目指してブルーオリジンを設立します。

コロナ禍で1年遅れの東京五輪

2016年夏季五輪はリオデジャネイロで(2009年)

2020年に予定されていた東京五輪は新型コロナウイルスの影響で史上初めて1年延期となり、今夏に開催されました。
大半の会場が無観客で、こちらも前例がありません。
困難な状況の下で選手たちは力を尽くし、日本は金27、銀14、銅17で過去最も多い58個のメダルを獲得しています。
東京都はそもそも2016年の夏季五輪招致を目指していました。
しかし、2009年のIOC委員による投票で落選しました。
代わりに選ばれたのが、ブラジルのリオデジャネイロでした。
もし、ここで東京が選ばれていたら、どうなっていたでしょうか。
少なくとも、コロナ禍の2021年に東京五輪を開催することはなかったでしょう。
メダリストたちの活躍も違う結果になっていたかもしれません。

新型コロナワクチンで感染対策

テディベアにお金をしのばせ渡米(1985年)

新型コロナウイルスワクチンとして世界中で使われているのが、「メッセンジャーRNA(mRNA)ワクチン」です。
その開発につながる基礎研究をしたのが、ハンガリー生まれのカタリン・カリコさんでした。
カタリンさんは、もともと母国の研究機関に勤めていましたが、成果を挙げられず、研究費が打ち切りになりました。
仕方なく渡米して研究者生活を続けることを決断しました。
しかし、当時のハンガリーでは、個人が所有したり、海外に持ち出せる外貨が制限されています。
そこで車を売るなどしてこっそり集めた資金を娘のテディベアに隠して出国しました。もしバレると大変なことになります。
米国での生活は、その生活資金があったからスタートできました。
カタリンさんは数々の困難と挫折を経て、新型コロナウイルスのワクチンの源流となる技術の基礎を築きました。

大谷翔平選手が大リーグでMVP

日本ハムに入団(2013年)

米国の大リーグ、エンゼルスの大谷翔平選手が投打の「二刀流」による素晴らしい活躍で今シーズンの最優秀選手(MVP)に選ばれました。
日本選手のMVPは2001年のイチロー選手以来20年ぶり2人目で、満票による受賞は初めてです。
今シーズンは打者でリーグ3位の46本塁打、100打点、26盗塁をマーク。投手では9勝(2敗)を挙げました。
オールスター戦は史上初めて二刀流で先発出場し、勝利投手になっています。
代名詞と言える二刀流は、日本ハムファイターズの栗山英樹監督(当時)が入団交渉の際に提案したのが始まりです。
それまで大谷選手は日本の球団に入らず、高校卒業後はすぐ米国で投手としてプレーをするつもりでした。
これまでの常識を覆す投打の選手としての育成プランに大谷選手は心を動かされ、日本ハムへの入団を決めます。
栗山監督の勧めがなければバッターとしての大谷選手の活躍はなかったかもしれません。

※参考文献『巨大な夢をかなえる方法 世界を変えた12人の卒業式スピーチ』(ジェフ・ベゾスほか著、佐藤智恵訳、文芸春秋)、『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(石田雄太著、文芸春秋)、『大谷翔平 二刀流の軌跡』(ジェイ・パリス著、関麻衣子訳、辰巳出版)、『Blood, Sweat & Tears-BTSのすべて』(タマール・ハーマン著、誠文堂新光社)、『世界を救うmRNAワクチンの開発者 カタリン・カリコ』(増田ユリヤ著、ポプラ新書)