スペシャルインタビュー井手上漠さん②
Future vol.13に掲載
Q 中学のときに出場した弁論大会で、自身の性についてスピーチしました。それが今の活躍につながっているそうですね。
当時は全く明るい性格ではなかったので、話すのは得意ではなかったですね。
自分の話なんて誰が聞いてくれるんだろうと思っていましたし。
地方大会からだんだんと全国大会へと勝ち上がっていくのですが、次第に島中のみんなが応援してくれました。
これまで応援されたことがないのに、応援してもらえたので不思議な違和感がありましたね。
出場を勧めてくれた国語の先生にも感謝しています。
それに母の言葉がなければ、そもそも私のスピーチはありえなかった。
みんなのおかげで自分に自信を持つことができました。
「少年の主張全国大会」で最優秀に次ぐ、文部科学大臣賞に選ばれました。みんながいたから素敵な賞をもらえたんです。
Q そこで自信を持って、高校生になると、男性スターを輩出する「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に出場し、「かわいすぎる男子高校生」として日本中から注目を集めました。
ジュノンボーイコンテストには、診療所の先生の勧めで出場しました。
コンテストは大変でしたよ。かっこいい男の子ばかりが周りにはいるから、圧倒されっぱなしでした。
賞をもらって、帰りの飛行機でセカオワの「RAIN」を聞きました。
自然と涙が止まらなくなって、母と抱き合いました。「私たち、頑張ったよね」って言いながら。
Q これも決める、選ぶということにつながりますが、高校1年生の頃に男子用と女子用に分かれていた制服を同級生と変えようとしたそうですね。今は全国で波及しつつある動きだけれど、当時はまだ新しい運動だと思います。
当時は、そういった活動がほとんどなかった気がします。
学校はLGBTQや心の性別といったことを授業で教えているのに、制服についてはずっと旧態依然としたままで違和感がありました。
性別に対して理解を深めようと言いつつ、現実とのずれがある。
だけど私の友人には体は女の子だけど、心は男の子で学ランを着たいという人がいました。
校則は生徒の8割以上の賛成があれば変えられると聞いて、動き始めました。
生徒はほとんど前向きだったのですが、先生たちには壁を感じました。
ある男性の先生には「気持ちが分からない」と言われました。それでも働きかけるうちに、先生にも理解していただきました。
高校3年の時に「男子用」「女子用」だった制服は「タイプ1」「タイプ2」となり、生徒が自由に選べるようになりました。
せっかくなので、私もスカートの制服を着ました。とても自然でした。
Q 芸能界の仕事を選んだのは、世の中に発信したいことがあったからだそうですね。
私はもともと芸能界に行きたいわけじゃなかったんです。美容関係の仕事に就きたかった。
でも、ジュノンボーイコンテストの私を見た人から「救われた」という声がたくさん届いたんです。
私自身も「こういう人がいてくれたら助かったのかも」と思った。自分を肯定できたんです。
性のことで悩んでいる人のためにも、私が表舞台に出て笑ったり、楽しそうにしていたりすることに意味があると思いました。
LGBTQの専門家や研究者とは、違う役割が果たせるかもしれません。
この仕事でもやっていけるのも母のおかげ。
勉強をしなくても怒らなかったけど、人間性や礼儀に関することには厳しかった。
料理や掃除のような家事に抵抗がないのも母のおかげです。
それが今のお仕事でもすごく生きてます。やはり原点は母ですね。
Q 今、井手上さんのインタビューを読んでくれているのは高校生です。これから大きな決断をしようとする人もいるでしょう。
最終的には誰に何を言われても自分で決めた方がいい。
私は高校に入ってからは大きな決断は全部自分でしています。
どんな選択肢を選んでも、結局後悔をするのかもしれません。
何かを選んだら、捨ててしまうものがあるかもしれないから。
だったら自分で選んだ方がいい。誰かのせいにしないで済みます。
私もこれからお芝居や美容のことに挑戦しようと思っています。
未来のことは分からないけれど、チャレンジした方が楽しいことは多いと思っています。
井手上漠
いでがみ・ばく/2003年生まれ。第31回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストにてDDセルフプロデュース賞を受賞。
19年1月に放送された『行列のできる法律相談所』やサカナクションのミュージックビデオ『モス』 など、数多くのメディアに出演。常に自然体で自分らしくを標榜し、容姿のみならずそのアイデンティティにも多くの支持を集めている。