
スペシャルインタビュー
井手上漠さん①(Future vol.13/2021.12.3発行に掲載)
井手上漠さんはモデル・タレントとして、
ジェンダーの壁などなきもののごとく、多方面で脚光を浴びる。
最近では自身の生い立ちをつづったエッセイ「normal?」が好評。
既存の枠組みにとらわれず、新たな価値観を発信する
井手上さんの決断と選択に迫った。
Q この春、隠岐諸島の島根県海士町という人口2,400人の町から上京したばかりです。
東京には慣れましたか。
東京には高校の頃から仕事で通っていたので、大きなギャップはないですね。
故郷も東京もいずれも好きです。
島はみんな家族みたいな存在で危ない人はいませんし、着いた瞬間にオフモードになります。
一方東京はとても華やかですが、
知らない人に声を掛けられたりする事もあって戸惑うこともしばしば。
そういう部分はまだ慣れないかな。
あ、こっちに来てから富山出身の友達ができました。
いいところだって聞いています。いつか行ってみたいです。
Q 今回のFutureは決断、選択というテーマで特集を組んでいます。
選ぶというと、10月に衆議院選挙がありましたね。
井手上さんは18歳。投票には行きましたか。
期日前投票ではなく、投票日に行きました。
初めての経験なので、当日は緊張して構えていたんです。
スマホを持ち込んだりしちゃいけないのかな。係の人に囲まれて名前を書くのかなって。
でも、実際はあっという間であっけなく感じました。
でも、これが私たちの未来につながると思うと感慨深いものがありました。
Q 決断、選択というと、ショッピングで迷ったらどうやって決めますか。
私は優柔不断なんです。洋服でもコスメでも毎回迷ってしまう。
似たような色でも、ちょっと違うでしょう。だから最後は神頼みで決めます。
「どちらにしようかな」って。
私、映画を見てから「トイレの神様」を信じているんです。
だから、学校とかでトイレのスリッパが乱れていたら、きれいに並べないと気が済まない。
そういう自分磨きをしていたら、いいことがあるんじゃないかなって信じています。
だから最後は神様に委ねます。
「スリッパをそろえてきたんだから、いい方を教えてください」って(笑)。
Q 体は男性として生まれてきたけれど、
ツイッターのプロフィールには「性別ないです」と書いています。
男女やLGBTQという枠組みがある中で、
敢えてこのような表現を選んだのはなぜですか。
私は性別について病院で特別な診断を受けたわけではありません。
自分の性別や恋愛対象を他人に決められたいとも思いません。
一方で自分でも何が正解か分かりません。
私にとって性別は最終的には心の問題だと思います。自分の人生を生きるのは自分です。
他人には決められないし、何か決まった枠組みを当てはめたいとは思えません。
だから「性別はないです」と紹介するようになりました。
枠組みに当てはめるのが全てじゃないですから。
性別に限らず、いろんなことで枠組みがありますよね。
強い人、弱い人、料理がうまい人、話すのが苦手な人って。
当てはめなくても、それぞれの人生なんです。
今の自分をそのまま肯定したらいいんじゃないかな。
性別もその都度、自分が認識するカテゴリーが変わってもいいですよ。
私も未来のことは分かりません。

Q どんな高校生だったんですか。
普通の高校生でしたよ。
小学校の後半から中学校にかけては、自分の性について悩んで、
思い切り楽しめませんでした。
だからこそ、高校は「絶対に青春してやる」という気持ちでした。
やりたいことをやり、好きなことを好きなだけやりました。
部活はテニス部のマネージャーで、勉強はそこまでだったかな(笑)。
でも、友達には恵まれましたよ。
芸能界の活動を始めたのでいろいろ大変でしたけど、充実していました。
誰よりも楽しい高校生活を営めたのかもしれません(笑)。
Q 自分が同級生の男の子たちと違うと気づいたのは、どんな時でしたか。
小学校 5年生ですね。
それまでは女の子とばかり遊ぶし、プリキュアごっこをしていたし、髪も長かった。
それで何も思わなかった。
でも、5年生にもなると、体育の前には男女別の部屋で着替えますよね。
自分が男の子の中で着替えることに違和感を覚えました。
突然できた区別の中で息苦しくなりました。
島の小さなコミュニティーでは、周りの男の子たちも私をある程度理解してくれていました。
でも、島の外で交流する機会が増えると、つらいこともありました。
小学生って簡単に「気持ち悪い」って言っちゃうでしょう。
今でも否定されると苦しいけど、当時はもっとつらかった。
何をしたら気持ち悪いと言われないんだろう。
周りに合わせないといけないのかなって悩むようになった。
これが30歳、40歳になっても続くのかなって絶望してしまいました。
Q 性に関する悩みを誰にも打ち明けられない中で、
お母さんの言葉が大きかったそうですね。
小学校 5年生から中学 2年生にかけて、生きている意味が分からなくなっていました。
好きなこともしてはいけないと思っていました。
世界が白黒になったような気分。
そんな私の気持ちを察してくれたんでしょうね。
中学2年のある日、母から恋愛対象を聞かれたんです。いきなりだったのでびっくりしました。
ここで解放されるかもしれないといううれしさもありましたし、
ショックを与えるんじゃないかという不安もありました。
涙があふれて酸欠になったのか、体がしびれるような感覚になりました。
泣きながら、いろいろ考えた上で「恋愛対象は性別で決めたことはない」と正直に言ったんです。
すると母は頷きながら「漠は漠のままでいていいんだよ」と言ってくれた。
私は母子家庭で育ち、母しか頼れる存在しかいません。
いろいろ悩みながら母は私を受け入れてくれていた。母は偉大ですね。
Q 中学のときに出場した弁論大会で、自身の性についてスピーチしました。
それが今の活躍につながっているそうですね。
当時は全く明るい性格ではなかったので、話すのは得意ではなかったですね。
自分の話なんて誰が聞いてくれるんだろうと思っていましたし。
地方大会からだんだんと全国大会へと勝ち上がっていくのですが、
次第に島中のみんなが応援してくれました。
これまで応援されたことがないのに、応援してもらえたので不思議な違和感がありましたね。
出場を勧めてくれた国語の先生にも感謝しています。
それに母の言葉がなければ、そもそも私のスピーチはありえなかった。
みんなのおかげで自分に自信を持つことができました。
「少年の主張全国大会」で最優秀に次ぐ、文部科学大臣賞に選ばれました。
みんながいたから素敵な賞をもらえたんです。
Q そこで自信を持って、高校生になると、男性スターを輩出する
「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に出場し、
「かわいすぎる男子高校生」として日本中から注目を集めました。
ジュノンボーイコンテストには、診療所の先生の勧めで出場しました。
コンテストは大変でしたよ。
かっこいい男の子ばかりが周りにはいるから、圧倒されっぱなしでした。
賞をもらって、帰りの飛行機でセカオワの「RAIN」を聞きました。
自然と涙が止まらなくなって、母と抱き合いました。
「私たち、頑張ったよね」って言いながら。
Q これも決める、選ぶということにつながりますが、
高校1年生の頃に男子用と女子用に分かれていた制服を
同級生と変えようとしたそうですね。
今は全国で波及しつつある動きだけれど、
当時はまだ新しい運動だと思います。
当時は、そういった活動がほとんどなかった気がします。
学校はLGBTQや心の性別といったことを授業で教えているのに、
制服についてはずっと旧態依然としたままで違和感がありました。
性別に対して理解を深めようと言いつつ、現実とのずれがある。
だけど私の友人には体は女の子だけど、
心は男の子で学ランを着たいという人がいました。
校則は生徒の8割以上の賛成があれば変えられると聞いて、動き始めました。
生徒はほとんど前向きだったのですが、先生たちには壁を感じました。
ある男性の先生には「気持ちが分からない」と言われました。
それでも働きかけるうちに、先生にも理解していただきました。
高校3年の時に「男子用」「女子用」だった制服は「タイプ1」「タイプ2」となり、生徒が自由に選べるようになりました。
せっかくなので、私もスカートの制服を着ました。とても自然でした。
Q 芸能界の仕事を選んだのは、
世の中に発信したいことがあったからだそうですね。
私はもともと芸能界に行きたいわけじゃなかったんです。
美容関係の仕事に就きたかった。
でも、ジュノンボーイコンテストの私を見た人から「救われた」という声がたくさん届いたんです。
私自身も「こういう人がいてくれたら助かったのかも」と思った。
自分を肯定できたんです。
性のことで悩んでいる人のためにも、私が表舞台に出て笑ったり、
楽しそうにしていたりすることに意味があると思いました。
LGBTQの専門家や研究者とは、違う役割が果たせるかもしれません。
この仕事でもやっていけるのも母のおかげ。
勉強をしなくても怒らなかったけど、人間性や礼儀に関することには厳しかった。
料理や掃除のような家事に抵抗がないのも母のおかげです。
それが今のお仕事でもすごく生きてます。やはり原点は母ですね。
Q 今、井手上さんのインタビューを読んでくれているのは高校生です。
これから大きな決断をしようとする人もいるでしょう。
最終的には誰に何を言われても自分で決めた方がいい。
私は高校に入ってからは大きな決断は全部自分でしています。
どんな選択肢を選んでも、結局後悔をするのかもしれません。
何かを選んだら、捨ててしまうものがあるかもしれないから。
だったら自分で選んだ方がいい。誰かのせいにしないで済みます。
私もこれからお芝居や美容のことに挑戦しようと思っています。
未来のことは分からないけれど、チャレンジした方が楽しいことは多いと思っています。
井手上漠

いでがみ・ばく/2003年生まれ。第31回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストにてDDセルフプロデュース賞を受賞。
19年1月に放送された『行列のできる法律相談所』やサカナクションのミュージックビデオ『モス』 など、数多くのメディアに出演。常に自然体で自分らしくを標榜し、容姿のみならずそのアイデンティティにも多くの支持を集めている。