スペシャルインタビュー藤原史織さんFuture vol.10に掲載
芸人「ブルゾンちえみ」としての活動を終えた藤原史織さん。
2017年に「35億」のネタで注目を浴び、歯切れのいいトークでバラエティ番組を中心に大活躍しました。
今はテレビに軸足を置いた活動から羽ばたき、制約を取っ払い、新たな可能性を模索しています。
これまでの華々しく活躍した輝きの裏には、たくさんの失敗もありました。
学生時代のエピソードを交え、富山の高校生にエールを送ってくれました。
Q 今回のFutureは「失敗してもいいじゃん」という特集を組んでいます。藤原さんはこれまでどんな失敗をしていますか。
いろいろありますよ。テレビに出るようになってからも、たくさんやってますね。
例えば、生放送の「R -1ぐらんぷり」でネタが飛んじゃった。音楽だけがどんどん続いてくのに、無言でいる私。悔しくて泣いたなあ。
あと、「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」にも出たんですよ。日本最大のロックフェスです。
ネタを2本やる予定だったんだけど、最初のネタに使う音源が間違っていた。日本最大の夏フェスですからね、目の前には大観衆が集まっている。
ブルゾンのネタって音楽でかっちり決まっているので、間違っていたら「with B」の2人も対応できない。汗がダラーって流れました。もう謝ってハケるしかなかったです。
お客さんのノリが良くて「大丈夫だよ」と盛り上げてくださったので助かりました。
Q 「ブルゾンちえみ」って強気で仕事ができるイメージがあったから意外ですね。高校時代の失敗はありますか。
一番大きかったのはセンター試験の失敗ですね。私、真面目な性格で勉強もすごく頑張っていたし、成績もそれなりに良かった。
地元の岡山大学の教育学部が第1志望で、先生にも「藤原なら天変地異でも起こらない限り大丈夫」って太鼓判を押してもらっていました。
模試でもずっとA判定だったので、滑り止めの大学受験も予定していなかったんです。
受験料ももったいないですからね。そしたら、その年のセンター試験の数学が超難問ぞろいだった。
分からない問題を飛ばすのだけど、飛ばしても飛ばしても分からない。全部分からない。
「あー、これは終わった」と思いました。2次試験で挽回しようもないくらいひどい点数でした。
ショックのあまり、センター試験の結果が載った紙はお母さんと一緒にシュレッダーにかけちゃいました(笑)。
でも、ここで望み通りの大学に行っていたら、ブルゾンちえみは生まれていなかったかもしれませんね。
Q 3月末にブルゾンちえみとしての活動を終了しました。その後はイタリアに留学する予定だったけれど、コロナの影響で実現できませんでしたね。
イタリア留学は、実家の岡山から上京するくらいの軽い決意だったんですよね。
イタリア旅行に行った時、行き交う人の感じとかカフェの雰囲気とかすごく気に入ったんです。
ブルゾンとして活動している時から、いつかここで暮らしてみたいなって思っていました。
イタリア留学は諦めたわけではないので、来年にでも行けたらいいな。
最初は戸惑っていた自粛生活に慣れてくると、ルーティンができました。自分と向かい合う時間にもなりました。
この日々がなかったら、もしかしたら私は焦っていたかも。だって周りはみんな働いていただろうから。これはこれで良かったのかもしれません。
Q ブルゾンちえみという誰もが知っているキャラクターをやめたのは。
ブルゾンを否定している訳ではありません。今でも私にとって大切な存在です。
でも、ちょっと上から目線で女性に強気なアドバイスをするブルゾンは、素の自分と全く逆だったんです。
私の「好き」を詰め込んだキャラクターでした。本当の私にはできないことをやっていたんです。
素の自分とブルゾンはかけ離れていても、世間が求めるのはブルゾンです。どこかでちぐはぐになってきたんですね。
今さらですけど、私はテレビに出るのが得意じゃなかった。お世辞を言ったり、大げさに驚いたりできなかった。嘘疲れしちゃったっていうのかな。
本当の私ではなかった。これを続けると、心が壊れると思いました。
私はブルゾンちえみで失敗してみたかったのかもしれません。
でも、大手のプロダクションにいたこともあって、失敗しそうなプロジェクトには挑戦できませんでした。スタッフが私のために作ってくれた舞台に乗っていただけ。
24時間テレビでマラソンも走りましたけど、あれは私以上に周りのスタッフが頑張ってくれているからできたこと。
お人形さんみたいでしたね。このままだと、どんどんなまっていく。1人で生きていく力が減っていく。もっとやりがいが欲しかった。
最近出会う魅力的な人は40代くらいで挑戦している人が多い。やりたいことが大人になっても形にできている。
そういう人たちを目の当たりにして、私も新しい世界に飛び出してみたくなった。
無理かもって思うことが成功するからこそ、やりがいがある。どうしてもダメならやり直せばいい。失敗しても、その分楽しいことがあるはず。そう信じてます。
以前は私の中の95%がブルゾンだったけど、今は逆。5%くらいかな。でも、いつも隣にいてくれる頼もしい存在です。
Q 大学生活はどんな感じだったんですか。
大学受験で燃え尽きちゃったんですね。学生生活の1年目を思い切り楽しんだら、こんな感じかって見切っちゃった。
がむしゃらな状況になりたかったんだけど、自分にはできなかった。教育学部でしたが、先生になりたいという熱い思いもなかった。
周りの人たちはすごく熱意があったんですね。でも、私は違う。悶々としていたら、鬱になっちゃった。過食がすごくて、体重が30キロ増えちゃった。
高校まで陸上部でガリガリだったのに。太ったことがまたコンプレックスになりました。悪循環になって、余計に引きこもりになりました。
母親が心配して「大学やめてもいいよ」って言ってくれたんです。それで心が解放されました。
その後は劇団に入ったり、歌とダンスのレッスンを受けたり。タレントの養成学校にも入りました。
お笑いの劇場に通っていたら、舞台裏を見る機会があったんです。芸人さんたちが本番前にめっちゃ練習して、ダメ出しし合って反省している。思っていた以上に真面目な人たちばかりだった。
これは自分の性に合っていると思いました。勝つために頑張っている人たちが賞レースで1番になれる。
努力すれば勝てる。これは私に向いている気がしました。打ち込めるものを見つけたってうれしくなりました。
おかげさまでブレークして、富山でもライブをしましたね。ドラマにも、紅白にも出た。やりたいことは全部やれた。
だけど、ある時期からブルゾンとして何をしたいっていう気持ちになれなかった。
そしたらまた過食衝動が出てきた。これはやばい。すぐに30キロ太ってしまう(笑)。
事務所の人からは休むよう言われたんですけど、休むということはいつか復帰しないといけません。
急かされないといけない。それならこのタイミングで辞めようと思ったんです。
Q 今後はどんな活動をするんですか。
スポーツ紙に「ブルゾン芸能界を引退」と書かれたけど、そういうつもりではありません。
ブルゾンちえみとしてはやれなかったことがたくさんあって、それを一つ一つやっていきたいと思っています。
例えば、執筆。本を読むのが好きで、自作のイラストや写真を発信できるウェブサイト「note」でエッセーを書きためています。前よりは地味ですけど、書く仕事をしていきたい。
あとは環境や政治、教育の問題についても発信していきたいと思っています。
今の私は大きな組織に所属していません。だからこそ、自由に考えて発信できると思うんです。
ネットでニュースを見ていても、特に高校生なんかだと少し遠い問題だと思いがちですよね。
私がイベントに出たり、SNSで取り上げたりすることによって知るきっかけにしてもらえたらいいな。
藤原史織
ふじわら・しおり/ 1990年岡山県生まれ。島根大教育学部を中退し、音楽専門学校などを経て、2013年にワタナベエンターテインメントカレッジに入学、15年卒業。16年に「ブルゾンちえみwith B」を結成、17年の元日に出演したバラエティ番組でネタを披露し、一躍脚光を浴びた。今年3月31日に所属事務所を退所した。
※掲載内容とプロフィール情報はFuture vol.10(2020.7.17)時点のものです。