
富山にこんなお仕事2025
パーソナルトレーナー
極限の減量 経験したけど
腹筋バキバキの小学生だった。レスリング漬けだったからだ。中学生まではリオデジャネイロ五輪の金メダリスト、登坂絵莉さんと同じクラブに所属していた。「僕も当時は彼女のように五輪を目指していた」。世界の大舞台に手が届かなくても、大学まで真剣に競技に向き合い続けた。「死ぬ気で頑張っていました。試合のたびに10kgは減量しましたし」。極限まで体重を減らして臨むのは、本来の体重より下の階級に出るためだった 。体格差で有利になれる。どうしても勝ちたかった。全国大会で3位に入るなど結果を出してきたが、「リバウンドを前提とした体重の減らし方なんて、体に絶対良くない」と疑問に感じた。競技は大学で引退した。
小さい頃の夢が消防士だったのを思い出し、富山市消防局に入った。付き合いで飲み会の機会が増えて脂肪が付いた。自慢だった腹筋の線も薄くなった。「筋トレしないと」。今度は競技の成績のためではなく、見た目のためのトレーニングを始めた。鍛えるほど、筋肉は大きくなっていく。筋トレにどっぷりハマっていった。消防士の傍ら、解剖学や栄養学を独学し、友人から指導を頼まれるようにもなった。「健康的に人の体を変えていきたい」。パーソナルトレーナーとしての独立は、選ぶべき道だと感じた。
パーソナルジムを開業して2年がたった。客から「境さんを選んでよかった」と言ってもらえる。直接感謝されることが喜びだ。消防士時代にはあまり経験しなかったことだ。感謝されるたびに努力が報われる思いがする。「自分だからできることがあると実感します」
私の愛用品

■ダンベル
「トレーナーとしてだらしない体ではいられない」と言い、週6回のトレーニングで使う。ゆったりしたトレーナーを着ていても体の厚さが伝わるほど鍛えている。
※掲載内容はFuture 2025[進学・オシゴト版]
(2025.3.12時点のものです。)