普通をあなたも決めている
普通とは何か。普通を決定付ける法律やルールはありません。普通は空気のようなもの。人と人との間に存在しています。
だから社会や会社、家庭、学校のクラスなど、さまざまな人間関係の中でつくられていると言えます。
それでも変えられる
普通は「自分」とは関係ないところで決まるものではありません。
例えば、映画をつまらないと感じる時は、あなた自身も映画をつまらないと感じる状況をつくっています。
普通も同じ。普通をつくることに、あなたも参加している。
あなたが何かを「普通だ」と言ったり、誰かが何かを「普通じゃない」と言うのを放置したりすることで、「普通とはこういうものだ」という価値観をつくるのに貢献しているわけです。
100年前の普通と、今の普通は違っていますが、だからといって常識は簡単に変えられません。
例えば、フォークを先端のとがった部分ではなく逆側で使うことはありませんし、1日3食の食事を4食にすることはありません。
運動部で頑張っている高校生は別かもしれませんが(笑)。まあ、現状に満足している人が多いと変える理由がないんです。
でも、普通は変えられるんですよ。今は割と男女両方ともスカートじゃなくてスラックスを選べる学校が多いと思う。
一番最初にスラックスを履こうとする女性はすごく勇気が必要だったり、特別な意味を読み取られたりしたと思う。
だけど、代替わりしていくことによって、それが普通になっちゃったと思います。
そうやって、行動を変えていく人が少しずつ現れてくれば、時間をかけて普通は変わっていく。
窮屈でないものにしていくことができるんです。
「one of them」にする
学校を覆う普通に耐えられない人もいるでしょう。それは学校が提供する普通にしかアクセスできないから。
じゃ、どうしたらいいか。共同体をまたぐといい。
学校しかない人は学校の普通によって縛られるけど、塾や習い事、違う学校の友達のいる場所に行ってみてください。
それぞれの普通に身をさらしてみたら、学校の普通って「one of them」って思える。たくさんあるうちの一つだって思える。
「これしかない」って思うから苦しいんです。その場所の普通も、そこを離れたら普通じゃなくなる。
学校で陽キャラ扱いの人が、塾に行けば真面目で大人しいということは珍しくないと思います。
普通の「枠組み」を大きくしたり、小さくしたりすることもできる。
普通は平均という意味合いもありますが、平均は全体の枠組みによって決まります。
例えば全国模試を受験するのが日本だけでなく、世界中の同世代だったらどうでしょう。
読み書き計算ができ、高校まで教育を受けているので、日本の高校生のほとんどが高偏差値になるはず。
ある小説家が「自分はこのアパートで一番小説を書くのがうまい」とSNSに投稿していました。
その自尊心の保ち方は素晴らしいと思います。あえてゲームの枠組みを小さくすることで創作という孤独な営みを楽しんでいるのです。
普通を取り巻く全体のサイズを自分の心の中でいじってみてください。
普通にまつわる悩みがいかにチャチなことなのか見えてくるかもしれません。(談)
谷川 嘉浩
哲学者
たにがわ・よしひろ:1990年生まれ。京都市在住の哲学者。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程修了。博士(人間・環境学)。現在、京都市立芸術大学美術学部デザイン科講師。哲学者ではあるが、活動は哲学に限らない。個人的な資質や哲学的なスキルを横展開し、新たな知識や技能を身につけることで、メディア論や社会学といった他分野の研究やデザインの実技教育に携わるだけでなく、ビジネスとの協働も度々行ってきた。著書に『スマホ時代の哲学―失われた孤独をめぐる冒険』(ディスカバートゥエンティワン)『鶴見俊輔の言葉と倫理―想像力、大衆文化、プラグマティズム』(人文書院)、『信仰と想像力の哲学―ジョン・デューイとアメリカ哲学の系譜』(勁草書房)。
※掲載内容とプロフィール情報は
Future vol.18(2024.7.8)時点のものです。