スタートアップ経営
~ロボットで社会貢献~
朝日町に暮らしながら、ロボット、AI技術を通じて世界の貧困問題を解決しようとする林まりかさん。
失敗を恐れず、未来へ向かって挑戦し続けています。
同じ課題なんて出てこない
経営する企業では、ただ新しいロボットを生み出すのではなく、それを通じて社会を変えたいそうですね。
夢はデカいんですよ。世界には経済格差があって、貧困でつらい生活を送っている人がいます。
その人たちを助けたい。ロボットやAIって世界の構造を変えるポテンシャルを持っていると思うんです。
私たちが作っているのは、ロボットやAIを用いた高度自律型遠隔制御サービス「HATS」です。
遠隔地にいるオペレーターが現場のロボットをアシストするんです。
ロボットだけでは解決できない問題を人間が判断して手伝って解決するイメージです。
このままロボットやAIが発達すれば、経済の担い手は人間ではなくなるかもしれない。
仕事が奪われ、格差が固定化されてしまう。それを避けたいんです。
ロボットやAIを使って働く人を増やして、むしろ富の分配や機会の均等化につなげたい。
例えば途上国にオペレーションセンターを作れば、ロボット操作のノウハウができて収入の向上につながるでしょうし、先進国にどんな産業があるか知ってもらえる。未来への選択肢が増える可能性がある。
どうして社会貢献への意識が強いのか。
きっかけは息子です。今6歳になります。
創業して6年ほどして出産したのですが、それまではエンジニアとしてどんな面白いプロダクトを作ればいいかということばかり考えていました。でも、息子が生まれて考える時間ができた。息子と一緒にまっさらな目で世界を見ました。
それまで気にしなかったニュースに触れて、社会の不条理が気になり始めた。
例えば、息子が好き嫌いして食べ物を粗末にしても、世界には飢えで苦しんでいる人がいる。
残されている時間は少ないと思ったら、息子に、そして他の子どもたちに良い世界を残したいと思うようになったんです。
朝日町の実家でリモートワークしているんですね。
その方が生産性が高いという判断です。私はシングルマザーなんですよ。
私だけで東京に暮らして会社を経営をするのは物理的に難しい。幸い地元の両親が健在だったので、いろいろと助けてもらっています。
以前からリモートワークができる環境は整い始めていたんですが、コロナ禍で一気に社会も変わりましたね。それをきっかけに実家に引っ越しました。
東大の理1に進学していますね。
1浪していますけどね。理系に行ったのは、「理系に女子が少ないのはおかしくない?」くらいのノリです。
ちょっと変わった子だったんで。
ロボットの研究に至ったのはなぜですか。
2年生の時に簡単なプログラミングを覚える授業があったんです。そこから関心を持ったんです。
要点を覚えたら結構たくさんのものが作れるのが自己肯定感を刺激してくれました。その後、ロボコンのサークルに入りました。
自分自身が作る楽しさもあったけど、他の優秀なメンバーをサポートする面白さもありました。
一度は就職するんですよね。
そうです。三菱電機に就職していたんですけど、当時暮らしていたのが工場用の物件でお風呂もないところ。
そこで友人たちとプライベートで電子工作していたんです。
教授や会社から命じられた研究ではなく、自分で作りたいものだけを作るのが楽しかった。
その仲間たちとものづくりしたいという思いが膨らんでできたのが、今の会社です。
スタートアップの経営者に必要なものは?
ビジョンです。自分の思いがあると強い。それがないと人を巻き込んで前には進めない。あとは柔軟さですかね。
答えのない問題が毎日のようにたくさん出てくるし、何が正義かも変わる。それを受け止められる力が必要です。
苦労はありますか?
スタートアップは同じ課題が絶対に出てこない。常に新しい課題があって、ずっと模索しています。
経営の面でいえば、私も連帯保証していますから、事業が進捗せずに期日までに出資してもらえなかったら自己破産決定です(笑)。
いつからそんな肝が据わっているんですか。
後先考えてないだけです。あと、変わったことしたいんですよ。私は普通であることに価値を感じない。
他人と違うということに恐怖がない。決めてしまえば迷いはない。
出産した時に覚悟したんですよね。息子が生まれて自分だけの人生じゃなくなった。
その時に息子の金銭的な幸せを取るのか、社会的に意義があることを求めるのか。
どちらを選ぶのか覚悟しました。そして、世界の構造を変えたいと思ったんです。
林まりか
キビテクCEO
はやし・まりか/朝日町出身。魚津高校から、東京大学工学部機械情報工学科に進学。卒業後は大学院に進み、情報理工学系研究科知能機械情報工学科(情報システム工学研究室)を経て、学際情報学府博士課程を修了。2009年、三菱電機株式会社に入社。3年間の勤務ののち退職し、11年に大学院時代の仲間と株式会社キビテクを設立、代表取締役CEOに就任。情報処理推進機構(IPA)未踏スーパークリエータ。