世界に飛び出す
映画監督 平井 敦士さん
フランスを拠点に、国際的な評価を得る気鋭の映画監督の平井敦士さん(富山市出身)。
昨年発表した『ゆ』は名だたる映画祭でも上映され、富山でも多くの観客の胸を打った。
高校時代を振り返り、創作を仕事にしたい高校生にエールを送った。
人生の全てが武器になる
まず映画監督ってどんなお仕事なんですか。
オーケストラで言えば指揮者のようなものです。
役者、カメラマンや録音技師などたくさんの人に協力してもらって伝えたいものを表現する仕事です。
フランス語で映画監督は〈réalisateur、 réalisatrice〉と言います。この言葉は「実行する人」という意味もあります。
だから映画監督は自分のアイデアややりたいことをみんなと一緒に実現する人ということですね。
決して、椅子に座って「アクション!」と叫んでいるだけではありません。
映画監督になるのは難しいんですか。
映画監督になるのに資格なんて必要ありません。誰でもなれますよ。今はスマホがあれば映像が撮れますし、編集できます。
映画館で上映されなくてもYouTubeでも発表できる。映画監督を志した瞬間から映画監督だと思います。
活動の拠点がフランスなんですね。
フランスは文化的な支援制度がしっかりしているんですよ。助成金がしっかりあり、日本より創作しやすい。
日本だと自腹で映画を作ったり、映画とは関係のないアルバイトをしたりしている人も少なくありません。
フランスの制度は外国人にも開かれています。映画を撮るには、とても恵まれた環境です。
海外暮らしで大変なことは。
友達や家族がおらず、言語が分からない場所で生きるというのはそれだけで大変です。文化も違うし、家を借りるだけでも大変。
あとビザの問題もあります。ビザを更新するには実績も収入も必要です。定期的にそのプレッシャーにさらされるのはしんどいです。
僕がフランスに出た時は若さもあったし、運もあった。努力するタイプではなかった一方、諦めなかった。
しかし、やれば叶うものではない。10、20年やってもダメな人もいる。ずっと花が開かない人もいる。
僕は幸い映画祭で評価されましたが、次の作品を撮れなかったら終わりです。そういう不安定さは怖いですよ。
賭けのような人生ではあると思います。でも、大切なのは好きなことをやり続けられるかどうかです。
映画監督に必要な知識や技術は?
自分の好きなことは持っていた方がいい。
1作目『フレネルの光』は「富山が好き。地元が好き」という思いから、富山が舞台になったし、2作目『ゆ』は「銭湯が好き」というところから作品になった。「好き」を突き詰めると映画にできるんですよ。
映画祭でいろいろな監督と出会うけれど、共通するのはそこだと思います。好きなことや没頭できる何かを映画の中に見出している。
映画撮るのってすごく大変なんですよ。プレッシャーだらけですから。
でも「好き」がテーマだからやり抜けるわけです。もちろん与えられた題材でもこなせる人もいると思います。
それもプロの形の一つであると思います。でも、僕らが撮っている映画は自分の表現として撮っていますからね。
高校生のうちに「好き」を育てておくと、後々役に立つと思います。それは映画監督にならなくても、きっと役に立つかと思います。
あとは勉強しておいて損はないですよ。僕はしていなくて後悔しています(笑)。
今思えば、英語や歴史、数学もしっかりやっておいたらよかったなあって。
どんな高校生だったんですか。
まず僕は中学2年の夏から卒業式まで不登校でした。高校でも目立つ方ではなかった。あんまり友達もいませんでしたし。
映画の世界だけが唯一居心地のいい場所でした。現実逃避というか、違う世界に連れて行ってくれるものでした。
まさに高校生の時に『潜水服は蝶の夢を見る』という映画を見て、派手な商業映画とは全く異なる作家性の強い映画があるんだと衝撃を受けました。世界の広さを思い知ったというか。
高校生の時に今につながる転機があったんですね。
楽しい日々ではなかったけれど、それがあったからこそ今があると思います。
楽しくても、楽しくなくても、その人が感じたことが下地になっていく。
高校の時ってすごい狭い世界に生きているでしょう? それ以上の世界がないって思い込んでいる。でも、全然そんなことないですよ。
高校を出たらいろんな世界が待っているんです。でも、当事者はそんなこと言われても、今この瞬間がつらいんですよね。
それもとてもよく分かる。今はその狭い世界をサバイバルするしかない。それもきっと役に立ちます。
映画監督をやっていていいなって思うのは、自分の人生を使えるところですね。
嫌なことも、悩んだこともみんな武器にできる。人生を豊かにする起点にもできる。
平井敦士
映画監督
ひらい・あつし/1989年富山市生まれ。東京の映像専門学校を卒業後、フランスの映画学校に進学。ダミアン・マニベル監督の助監督になり映画製作を学ぶ。デビュー作『フレネルの光』は2020年にロカルノ国際映画祭(スイス)の短編部門にノミネートされた。ことしのカンヌ国際映画祭「監督週間」では2作目の『ゆ』が正式招待された。
※掲載内容とプロフィール情報はFuture 2024[進学・オシゴト版] 2024.3.7時点のものです。