問いがあればつながれる
学校や企業、官公庁、寺社など、さまざまな場所で「哲学対話」の活動を重ねる永井玲衣さん。
その場所ごとにテーマを設けて、集まった人たちで話し合い、それぞれが考えを深めています。
いわば集合して考えるプロ。そんな永井さんに他者と集まる意味を考えてもらった。
「大人と子どもの違いは?」「なぜ雑草をむしるのか?」「どうして誰かとエレベータに乗るのは気まずいのか」
私が続けている哲学対話という活動では、集まったみんなで決めたテーマを輪になって話し合います。
哲学というと難しそうって思われるかもしれませんが、哲学対話ではちょっとちがいます。
ため息だったり、モヤモヤだったり、怒りだったり。「問いの赤ちゃん」のようなものを出してもらって考え合います。
普段は表現する場もないような一見小さな疑問です。
「ここなら大丈夫」という空間、雰囲気の中で問いの下に集い、考え、声を聞き合うのです。
普通の会話だと、そんなささいな問いを出すのが怖いでしょう。傷ついたり、傷つけられたりする。
「それはあなたの悩みで私には関係ない」と個人化されちゃうかもしれません。
でも哲学対話の場では、みんなで考えられる。「問い」という大きな木の下に一緒にいられるんです。
集まることで自分がわかる
大切なのは、「人それぞれ」にはしないこと。それは優しいように見えて冷たい言葉です。
どの地点なら共有できるかぎりぎりまで考えて、他の人の問いを自分の問いとして受け止める。
そうすると、日常がペロリとめくれてきます。世界に奥行きが出るんです。
そこに集まった他の人の存在のおかげで自分のことを深く知ることができる。
ビジネスの言葉では「壁打ち」と言ったりします。みんなの話を聞くことで、不思議と自分が分かります。
例えば、対話の中で出てきた意見に一つも賛同できなくても、それに賛同できなかったことで新しい世界が見えます。
「集まる」ことをちょっと怖いって感じる人もいるかもしれません。
例えば、政策などに反対の意思表示をするデモを日本人は嫌う傾向にあります。
集まっている人たちが溶け合っているように見えるのかもしれません。一つの塊のように。
だけど、デモの参加者の言葉に耳を傾けてみると、みんないろいろな理由で集まっているんですよ。
東京で再開発による樹木伐採が問題になっていますが、それに対する批判の声も、手続き的な視点だったり、環境問題への関心からだったりします。一つ一つの問題を対話によってひもといていくのが大切でしょう。
デモを見かけたら、うるさいし、道も通りにくいし、迷惑だって思う。それも分かります。
でも、「どうしてこの人たちは、誰かに迷惑をかけてまでデモをするんだろう」と立ち止まって考えてみるのもいいでしょう。
迷惑が良くないことだとしても、デモに参加する人たちにはそこまでしてでもやらないといけない理由がある。
ほんの一瞬の迷惑を忘れて、ずっと何かに苦しんできた人たちのつらさを考えてみてもいい。
どこかで交わるところを探してみてください。問いがあれば、つながれるのかもしれません。
永井 玲衣
哲学研究者
ながい・れい:哲学研究と並行して、学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。思考力の講師、哲学エッセイの連載なども行う。
独立メディアChoose Life Projectや、D2021 などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。詩と植物園と念入りな散歩が好き。