富山にこんなお仕事
デザイン研究員(板野 雄太さん)
富山のものづくり新しい産業に
卒業したのは中高一貫校で、地元の優秀な子どもが集まる名門だった。
小学校までは勉強が得意だったが、上には上がいる。落ちこぼれた。
勉強の代わりにのめり込んだのが、自分のセンスを刺激してくれるものだった。
音楽やファッションに夢中になり、その中でデザインに関心を持った。特にスニーカーのデザインをしてみたかった。
「勉強じゃ同級生に負けるから、違う方向に行こう」という思いだった。
大学ではデザインの勉強に没頭するつもりが、うっかり学園祭実行委員の活動にはまってしまった。
にぎやかなライブイベントを仕切ることに熱中した。スニーカーではなく、イベントの看板をデザインしていた。
大学院終了後は、九州の広告代理店に務めた。
デザインの知識に加え、学園祭で培ったイベントを仕切る能力を生かそうとした。
顧客のためにクリエーティブな仕事をしようと心掛けた。
福岡の本社から鹿児島の支局に異動すると、ローカルにこそ面白い経営者たちがたくさんいることを知った。
お金につながらないことをやってでも、応援したいと思った。しかし、会社には評価はされない。
違和感を覚え始めていた頃、県総合デザインセンターが職員を募集していることを知った。
デザインで地方を応援できるという。「やりたいのはこれだ」と思った。
学園祭や広告代理店で培ったトーク力で採用された。
デザイン性に優れた工業製品を選び、支援する「富山プロダクツ」や、商品化を前提とする「富山デザインコンペティション」を担当する。
VRの専用機器を備えたバーチャルスタジオの運用も担い、デザイン性の高い製品の開発やコスト削減を後押しする。
「富山の伝統工芸とものづくりのレベルの高さにびっくりする。
このすごい技術にユニークな視点を組み合わせて新しい産業に結び付けたい」
私の愛用品
■レッドブル
学生時代からくたびれた時や精神的に大変な時に飲んでいる。
元気になった気になれる。風呂桶三つ分はこれまで飲んだという。
でも、飲み過ぎは良くないようなので、最近は控えている。
※掲載内容はFuture 2022[進学・オシゴト版]
(2022.2.25時点のものです。)