高校生へのMESSAGES
2021年のM-1グランプリ決勝に初進出し、型破りな漫才で最下位ながら
ある意味一番の爪痕を残したランジャタイの国崎和也さん(氷見市出身)。
注目度が上がり、活躍の場を着実に広げています。
ふざけまくる予測不能な語り口で、高校生活や笑いのルーツを振り返りました。
お笑いコンビ「ランジャタイ」国崎 和也さん
多忙も多忙で異常多忙。M-1グランプリの決勝が終わってから一睡もしてないですよ。
富山のために寝ないでやっていますよ。富山のためです。富山のため!
M-1本番中は「売れたな!」という手応えは全く感じませんでした。
ふざけていたら終わりました。でも最下位でうれしかったです。
トップバッターになって全力で笑かしに行って、ものすごいすべり散らかす。
「二度と来るなっ」みたいになるのが夢だったんです。それに近い感じでしたよね。
というか、富山ってテレビでM-1映るんですか?
相方の出身地の鳥取は地上波では放送されてないと聞きました。うちの親は見ていない可能性がありますよ。
僕は閉校しちゃった二上工業高校に通っていました。勉強は全くしていません。
オゾン層や地球の環境とか、NASAがやるようなことを教わったんですが、僕以外の同級生も内容についていけなかった。
でも授業は楽しかったですよ。
3年生の最後の研究発表で、僕らのグループは紙ヒコーキをどこまで飛ばせるかをやりたいって言ったんです。
高校3年間の集大成だから、普通は駄目じゃないですか。でも先生が許してくれて、本当に紙ヒコーキを飛ばしました。
「何をやってるんだろう」と自分でも思ったんですけど、先生が一番笑ってくれていました。
友だちは多くて、面白い子がいっぱいいましたけど、僕はずばぬけていました。
その頃からM-1決勝に行く片りんを見せていました。スターもスター。
小中学校でも常にスターで困っていましたよ。んふふふふ。二上工業高校には収まりきらなかった。
原点はV6の「学校へ行こう!」
お笑いに目覚めたきっかけはV6さんですね。
「学校へ行こう!」(1997年から2008年まで放送された人気テレビ番組)のV6さんから笑いの全てを教えてもらいました。
M-1決勝のネタを見てもらえば影響が分かると思います。
「未成年の主張」というコーナーでは、屋上で誰かが告白して、地上にいる生徒が「オッケー」と答えると、モニターで見ていたV6さんがスローで駆け寄っていくんです。
「エーディーシャラララ〜♪」(カーペンターズの『イエスタデイ・ワンス・モア』)って流れるんですけど、面白すぎて録画したビデオをすり切れるくらい見ました。
中学生の時は、漫画「スラムダンク」を読んでNBAのバスケットボール選手になりたかったんです。
でも地区大会の1回戦で負けて「無理だぞ」と気付きました。
ちなみに小学校では「キャプテン翼」の影響でサッカーをしていました。
高校でもバスケを続けるつもりでしたが、春休みに「テニスの王子様」を読んでテニス部へ。
スラムダンクを読み返したらバスケ部にまた入って、「ヒカルの碁」を読んだらバスケ部を辞めて囲碁部に所属しました。
漫画に左右され過ぎた人生ですね。
高校3年生になって就職活動をしましたが、落ちまくりました。8社くらいかな。
友だちには「どこの会社行く〜?大変だよね〜?」って、受かったような顔をしていました。
本当は大卒しか採用しない会社を受けたり、面接に行かなかったりしたのに。
先生たちはパニックで、最終的に親父がやっているタイルの会社を継ぐって言っていました。
お笑いは好きだけど、最初から芸人になろうとは思ってなかったです。
でもお笑いが一番得意だと気付いて、好きなことをやろうと決めました。
当時はスマホも流通していないし、田舎者でお笑いと言えば吉本興業しか知らなかったので、高校卒業後すぐ東京のNSC(吉本総合芸能学院)に入学しました。高校時代にコンビニで2年半くらいアルバイトしてためた40万円をNSCの費用に充てました。
上京した時の夢は何だったんだろうな。「テレビ出たい!」みたいなミーハーな考えだったと思います。
NSCではダンスの授業しか出ていなくて、ボックスステップをずっと踏んでいました。3カ月で辞めたので何も学んでない…。
それからも何も考えず、うわーと騒いで淡々とネタをやり続け、気付いたらM-1の決勝に立っていました。ラッキーな人生ですよ。
それまでも千鳥の大悟さんがネタを見て面白いって言ってくれたりして、周りが引き上げてくれました。
自分たちは何もしていないのに、ここまで来ることができたのは出会いが大きいです。
ふざけても怒られない世界
コンビを組んで14年たちますが、お笑いが嫌になったことはありません。働かなくていいからです。
芸人は夢だとか賞レースだと言って、ストイックに見えるかもしれませんが、本音は働きたくないんです。
たまたま好きなことがそのまま仕事になっただけです。不思議なもので、働きたくないのに今はめちゃくちゃ楽しいですね。
お笑いはふざけても全く怒られない世界。
僕は小学校の時、テストの答案用紙に鉛筆をズボッと刺して穴だらけにしたことがあります。
横に座っている友だちに見せるとウケたんですけど、答案用紙には何も書いていないし穴だらけだし、先生にはめちゃくちゃ怒られました。
その延長線上に立っていますが、ボコボコにされません。
自分たちの漫才を説明するとしたら、子どもの頃から人の言うことを聞かず、勉強をせず、
漫画やゲームばっかりをやり続けたらどうなるかという最終形を示している感じです。
こんな風になっちゃうぞ、と伝えたいですね。
高校生に言いたいのは「どうしてもできないことは必ずある!」ということです。
同じ事務所のお笑いコンビ「ティモンディ」の高岸宏行くんは「やればできる」って言っていますが、僕は「やってもできない」と思います。
ピンと来ないかもしれませんが、これは本人が体験して分かるしかない。
でもそういうものですよ。それぞれの人生ですからね、好きに生きてもらいたいですね。
こんなパッパラパーなやつが、好きなことを仕事にできるって幸せですよ。まぁスターだからですね。みんな、ごめんね!
国崎 和也
くにざき・かずや/1987年生まれ。氷見市出身。二上工業高校卒。東京にある吉本興業の養成所「NSC」で相方の伊藤幸司さんと知り合い、「ランジャタイ」を結成。ネタ作りとボケを担当。2021年に漫才日本一を決める「M-1グランプリ」決勝に進み、結果は10組中10位。自称富山のスーパースター
※掲載内容とプロフィール情報はFuture 2022[進学・オシゴト版] 2022.2.25時点のものです。